(まずは歴史を知りましょう)ICRPについて(その1)

放射線に関する基礎知識

こんにちは。放射線などについて分かりやすく解説している大地(だいち)です。

本記事では、放射線防護に関する国際的なルールづくりに主導的な役割を果たしているICRP(ウェブサイトはこちら)という組織について解説したいと思います。

今回は、

・ICRPが設立された経緯は?

こういった疑問に答えます。

○本記事の内容

  1. (まずは歴史を知りましょう)ICRPについて(その1)
  2. 放射線に関する様々な発見
    • X線の発見
    • 放射能の発見
    • 放射能を持つ物質の発見
    • 放射線による皮膚の炎症の確認
  3. ICRPの設立へ
    • IXRPCの設立
    • 加速器の開発
    • 人工放射性同位元素の合成
    • IXRPCの組織再編、ICRP創設
  4. まとめ

この記事を書いている私は、2011年の福島第一原子力発電所の事故の後、除染や中間貯蔵施設の管理など、継続して放射線の分野での業務に従事してきました。

その間、働きながら大学院に通い(いわゆる社会人ドクター)、放射線の分野で博士号を取得しました。

こういった私が、解説していきます。

(まずは歴史を知りましょう)ICRPについて(その1)

ICRPとは、International Commission on Radiation Protection(国際放射線防護委員会)の略称ですが、一体どのような組織なのでしょうか。

本記事では、その設立までの経緯を中心にご説明したいと思います。

放射線に関する様々な発見


ICRPの設立には、放射線に関連する様々な発見が関係しています。

例えば、この記事で解説したように、放射線は医療分野だけに限らず、工業分野や農業分野などでも広く利用されており、今や私たちの生活には欠かせないものですが、管理が適切でない場合には、人の健康に悪影響を及ぼすこともあります。

特に、19世紀後半から20世紀初頭における放射線に関する研究の歴史を少し振り返ってみましょう。

X線の発見


1895年、ドイツの物理学者、レントゲン博士は、紙や木などは透過する一方で、人の骨や鉛は透過しない、新しい放射線を発見し、その放射線を「X線」と名付けました。

レントゲン博士が、妻の手を写真乾板の上に置き、放電管から放出されるX線を照射したところ、妻の手の骨と金属の結婚指輪だけが写った写真が撮れましたが、この写真を目にしたことがある人も多いかと思います(参照例:ウィキペディア(X線))。

この発見により、レントゲン博士は、第1回のノーベル賞(物理学賞)を受賞しました。

放射能の発見


翌年の1896年には、フランスの物理学者である、アンリ・ベクレル博士が、実験用のウラン鉱石と一緒に置いていた、写真の乾板が感光していることから、ウラン鉱石が、放射線を出す能力、つまり、放射能を持っていることを発見しました。

アンリ・ベクレル博士も、この発見により、1903年に、後述するマリ・キュリー、ピエール・キュリー博士とともにノーベル賞を受賞しています。

かつては、放射能の大きさを表す単位はキュリー(Ci)でしたが、現在は、放射能の大きさは、1秒間に崩壊する原子核の数として表されており、単位はベクレル(Bq)が用いられています。

放射能を持つ物質の発見

1898年、ポーランドの物理学者、化学者であるマリ・キュリーと、その夫で、フランスの物理学者であるピエール・キュリーが、何トンもの鉱石を砕いて、放射能を持つ物質(ポロニウム及びラジウム)を発見しました。

前述したように、この発見により、キュリー夫妻は、1903年にノーベル物理学賞を受賞しています。

また、マリ・キュリー博士は、1911年にはノーベル化学賞を受賞しています。

このように、19世紀後半には、放射線に関連して、次々に大きな発見がなされました。

放射線による皮膚の炎症の確認


しかし、その後、私たちの生活を便利にしてくれるような大発見の一方で、1896年には、放射線が皮膚の炎症を起こすことが確認され、放射線への被ばくにより、被ばく量などによっては、人体に悪影響が及ぶ可能性もあることが分かってきました。

当時は放射線による影響に関する十分な知見もなく、放射線防護体系も確立されたいなかったため、前述したマリ・キュリー博士自身も、放射線による影響を受けており、再生不良性貧血、という骨髄機能の低下による貧血が原因で亡くなったとも考えられています(参考:Wikipedia(マリ・キュリー))。

ICRPの設立へ

こうした発見や知見の蓄積を踏まえ、放射線防護に関する国際的なルールづくりを進めるための組織の必要性が認識されていき、ICRPの設立へと繋がっていきます。

次に、その設立までの経緯を見ていきましょう。

IXRPCの設立

まず、1928年には、医療従事者をX線とラジウムが放出する放射線から守るため、IXRPC(国際X線ラジウム防護委員会)が設立されました。

これが現在のICRPの前身の組織です。

ちなみに、最初の議長はスウェーデンの物理学者で、現在の被ばく線量を表す単位である「シーベルト」の由来ともなっている、ロルフ・マキシミリアン・シーベルトでした。

シーベルトという単位については、こちらの記事こちらの記事もご参照ください。

加速器の開発


1932年には、英国のキャベンディッシュ研究所において加速器が開発され、ジョン・コッククロフト博士とアーネスト・ウォルトン博士は、加速した陽子を当てることでリチウム原子核を人工的に他の原子核に変換させることに成功しました。

これにより、初めて、人工の放射線による核反応が実現されました。

この業績により、二人には1951年にノーベル物理学賞が授与されています。

人工放射性同位元素の合成

1934年には、マリ・キュリーと、ピーエル・キュリーの長女で、物理学者である、イレーヌ・ジョリオ=キュリー博士と、その夫であるフレデリック・ジョリオ=キュリー博士が、アルミニウムにアルファ線を照射すると、その線源をのぞいても、その物質は放射線を出し続けていたことから、アルミニウム原子が放射性リンになり、その放射性リンが、陽電子としてベータ線を放出して、ケイ素になることを発見しました。

この時使用したアルファ線の線源は、母親である、マリ・キュリーが発見したポロニウムだったというのも面白いお話です。

これにより、二人は、初めて、放射性同位元素を人工的に合成することに成功したのです。

この業績により、イレーヌ・ジョリオ=キュリー博士とフレデリック・ジョリオ=キュリー博士は1935年に夫婦揃ってノーベル化学賞を受賞しました。

マリ・キュリーと、ピーエル・キュリー、そして、イレーヌ・ジョリオ=キュリーとフレデリック・ジョリオ=キュリーは、親子ともども、夫婦揃ってノーベル賞を受賞したことになります。

こうした人工の放射性同位元素の合成により、今では、放射線は、私たちにとっても馴染み深い、診断や治療などの医療分野だけではなく、こちらの記事でも解説したように、現在では、工業分野における、高分子化合物の合成、非破壊検査、厚み測定に用いられており、また、農業分野においては、品種改良、殺菌、害虫駆除などに用いられており、また、考古学や芸術の分野においても、こちらの記事で解説したような、放射性炭素を用いた年代測定などに広く利用されています。

IXRPCの組織再編、ICRP創設

こうした、放射線の利用目的の拡大により、放射線からの被ばくに対する適切な防護を考えるべき対象についても、IXRPC設立当初の医療従事者だけではなく、その後は、工業分野、農業分野、考古学や芸術の分野など、様々な分野の人を対象とすることが必要になっていきます。

こうした、放射線防護の対象の拡大や、考慮すべき放射線の種類の拡大なども踏まえて、1950年には、IXRPCは、

ICRU:国際放射線単位測定委員会
ICRP:国際放射線防護委員会

という2つの組織へと再編されました。

まとめ

今回は、ICRP(国際放射線防護委員会)について、その設立までの経緯について解説しました。

具体的には、まず、1895年のレントゲン博士によるX線の発見から始まった放射線に関する数々の偉業と、同時に認識されていった放射線による健康への影響について説明し、そして、その後、それに対応するために設立されたIXRPC(国際X線ラジウム防護委員会)と、放射線の利用拡大等を受けた、ICRP設立までの経緯をお話ししました。

ちなみに、以上とほぼ同じ内容を動画にもまとめてみましたので、よろしければご覧ください。

日本語版

英語版

本記事の英語版はこちらからご覧いただけます。

今回は以上となります。

ご覧いただき、ありがとうございました。

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