(特定復興再生拠点区域とは?)帰還困難区域について(その2)

除染、特定廃棄物の処理

こんにちは。放射線などについて分かりやすく解説している大地(だいち)です。

前回は、こちらの記事で、福島第一原子力発電所の事故後の避難指示区域の設定から、区域の見直しまでの変遷や、避難指示区域の見直し後に設定された帰還困難区域の定義について改めて解説しました。

今回は、避難指示区域の見直し後から現在までの帰還困難区域の変遷や、帰還困難区域内に新たに設定された特定復興再生拠点区域について解説したいと思います。

つまり、今回は、

・帰還困難区域って今どのくらい残っているの?
・特定復興再生拠点区域って何?

こういった疑問に答えます。

○本記事の内容

  1. (特定復興再生拠点区域とは?)帰還困難区域について(その2)
  2. 避難指示区域見直し後の帰還困難区域の変遷
    • その間の帰還困難区域における避難指示解除
  3. 特定復興再生拠点区域とは
    • 特定復興再生拠点区域の概要
    • 特定復興再生拠点区域の整備の変遷
  4. まとめ

この記事を書いている私は、2011年の福島第一原子力発電所の事故の後、除染や中間貯蔵施設の管理など、継続して放射線の分野での業務に従事してきました。

その間、働きながら大学院に通い(いわゆる社会人ドクター)、放射線の分野で博士号を取得しました。

こういった私が、解説していきます。

(特定復興再生拠点区域とは?)帰還困難区域について(その2)

それでは、まず、避難指示区域の再編が完了した2013年8月から、帰還困難区域以外の区域(居住制限区域及び避難指示解除準備区域)における避難指示が解除される2020年3月までの変遷を見ていきましょう。

避難指示区域見直し後の帰還困難区域の変遷

こちらの記事で解説したように、福島第一原子力発電所の事故に伴う避難指示は、震災の当日に出され、その後、環境中に放出された放射性物質(詳細についてはこちらの記事をご参照ください)による汚染の状況が明らかになるに連れて、その範囲が順次拡大していきました。

その後、避難指示区域が、人への被ばく線量をベースにした区域へと順次見直され、2013年8月に、下の図に示したように、「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」への再編が完了しました。


↑ 2013年8月8日

その後、帰還困難区域以外の避難指示区域、つまり、居住制限区域、避難指示解除準備区域、そして特定避難勧奨地点については、2020年3月までに、下の図に示したように、約6年半という歳月をかけて、少しずつ避難指示が解除されていきました。

避難指示区域のより詳細な変遷については、こちらの記事こちらの記事もご参照ください。


↑ 2020年3月10日

その間の帰還困難区域における避難指示解除


この間、帰還困難区域の立入については、こちらの記事でも解説したように、住民などの一時的な立入を除き、バリケードの設置などにより厳しく制限されてきましたが、これ以外にも帰還困難区域への立入が認められていたケースがありました。

一つは、いわゆる「通過交通」です。

つまり、放射線防護の観点から、帰還困難区域内の主要な道路(例:国道6号線)について、車両を降りず、通過することは認められていた、というものです(二輪車の通行が禁止されていた時期もありました)。

もう一つは、JR常磐線の駅舎や周辺の道路における避難指示解除です。

JR常磐線の全線開通(復旧)(2020年3月14日)に合わせて、先行して除染などが行われ、2020年3月10日までに、大熊町、双葉町、富岡町の、帰還困難区域内にある、JR常磐線の駅舎や周辺の道路の避難指示が解除されました。

これらは、被災した地域の復興にとっては非常に大きな一歩となりましたが、帰還困難区域全体と比べると、面積としては非常に小さなものでした。

帰還困難区域における、より広範囲に渡る避難指示の解除として、「特定復興再生拠点区域」という制度が設けられ、その取組が進められてきましたので、その点について、以下でより詳細に解説したいと思います。

特定復興再生拠点区域とは

全体から見ると、ごく一部の地域ではありますが、前述したような、帰還困難区域における避難指示解除に向けた取組が進められる中で、並行して、帰還困難区域全体の避難指示解除に向けた、制度の見直しも行われました。

具体的には、特定復興再生拠点区域という区域が設けられ、避難指示の解除と住民の帰還が進められましたので、以下の章で、その詳細について説明したいと思います。

特定復興再生拠点区域の概要


特定復興再生拠点区域とは、帰還困難区域内に、避難指示を解除して居住を可能とする区域で、帰還困難区域がある7つの市町村のうち、双葉町、大熊町、浪江町、富岡町、飯舘村、葛尾村に整備されてきました。

南相馬市については、帰還困難区域が人が居住していなかった山林地域であったため、特定復興再生拠点区域は整備されませんでした。

各町村が、特定復興再生拠点区域の整備に関する計画を策定し、それを内閣総理大臣が認定することで、区域内の帰還環境整備に向けた、国による除染・インフラ整備等が集中的に実施されてきました。

ただ、その計画の認定にも条件があって、例えば、

・ 除染により放射線量が概ね5年以内に避難指示解除に支障のない基準以下に低減すること
・ 住民の居住や経済活動に適した地形
・ 帰還困難区域の外へのアクセス確保
・ 効率的整備が可能な規模であること

などが挙げられます。

特定復興再生拠点区域の整備の変遷

まず、2022年6月12日、葛尾村の野行(のゆき)地区において、約95haの特定復興再生拠点区域の避難指示が解除されました(下図参照)。


↑ 2022年6月12日

続いて、2022年6月30日、大熊町のJR大野駅や旧大熊町役場など、事故前の中心部がある、下野上(しものがみ)地区などにおいて、約860haの特定復興再生拠点区域の避難指示が解除されました(下図参照)。


↑ 2022年6月30日

続いて、2ヶ月後の2022年8月30日、双葉町の、新しい町役場がある、JR双葉駅周辺など、約555haの特定復興再生拠点区域の避難指示が解除されました(下図参照)。


↑ 2022年8月30日

続いて、2023年3月31日、浪江町の、陶芸の杜おおぼりや、大堀相馬焼の里などを含む、室原(むろはら)、末森(すえのもり)、津島(つしま)3地区の、合計約661haの特定復興再生拠点区域の避難指示が解除されました(下図参照)。


↑ 2023年3月31日

翌日の、2023年4月1日には、富岡町のシンボルであり、全長約2kmの桜並木の周辺地域を含む、夜の森(よのもり)地区と大菅(おおすが)地区の、合計約390haの特定復興再生拠点区域の避難指示が解除されました(下図参照)。


↑ 2023年4月1日

その1ヶ月後の、2023年5月1日には、飯舘村の南部にある長泥地区において、約186haの特定復興再生拠点区域と、隣接する特定復興再生拠点区域外の公園(人が居住しないことなどが条件)について、同時に避難指示が解除されました(下図参照)。


↑ 2023年5月1日

2023年11月30日には、福島県富岡町の帰還困難区域にある墓地と集会所、そしてこれらの場所に繋がる道路における特定復興再生拠点区域の避難指示が解除されました。

これで、予定されていた全ての特定復興再生拠点区域の整備と避難指示の解除が完了しました。

それぞれの特定復興再生拠点区域における計画の認定日や、避難指示の解除日を以下の表にまとめました。

町村名認定日着工日区域面積避難指示解除日
双葉町2017年9月15日2017年12月25日約555ha2022年8月30日
大熊町2017年11月10日2018年3月9日約860ha2022年6月30日
浪江町2017年12月22日2018年5月30日約661ha2023年3月31日
富岡町2018年3月9日2018年7月6日約390ha2023年4月1日及び11月30日
飯舘村2018年4月20日2018年9月28日約186ha2023年5月1日
葛尾村2018年5月11日2018年11月20日約95ha2022年6月12日

まとめ

今回は、こちらの記事の続きとして、避難指示区域見直し後の帰還困難区域の変遷と、その間の帰還困難区域における避難指示解除(例:JR常磐線の駅舎などに関する避難指示解除)、そして、その後のより本格的な避難指示解除として、特定復興再生拠点区域の概要とその区域の避難指示解除の変遷について解説しました。

それでもなお残る帰還困難区域への対応については、次の記事で解説したいと思います。

ちなみに、以上とほぼ同じ内容を動画にもまとめてみましたので、よろしければご覧ください。

日本語版

英語版

本記事の英語版はこちらからご覧いただけます。

今回は以上となります。

ご覧いただき、ありがとうございました。

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