(まずは設立までの経緯を解説)IAEAについて(その1)

放射線に関する基礎知識

こんにちは。放射線などについて分かりやすく解説している大地(だいち)です。

本記事と、その後の数回の記事において、世界における、原子力の平和利用などにおいて中心的な役割を果たしている、国際原子力機関(英語名:International Atomic Energy Agency (IAEA))について解説をしていきたいと思います。

※ 以降は、おそらく皆さんにも聞き馴染みがあるかもしれない英語の略称(IAEA)と表記します。

まず、あまり知られていない、その設立の経緯を解説したいと思います。

つまり、今回は、

・IAEAはなぜできたの?

こういった疑問に答えます。

○本記事の内容

  1. (まずは設立までの経緯を解説)IAEAについて(その1)
  2. 原子爆弾の開発
  3. 原子爆弾の投下
  4. 冷戦の時代へ
  5. 演説:「Atoms for Peace」
  6. IAEA設立
  7. まとめ

この記事を書いている私は、2011年の福島第一原子力発電所の事故の後、除染や中間貯蔵施設の管理など、継続して放射線の分野での業務に従事してきました。

その間、働きながら大学院に通い(いわゆる社会人ドクター)、放射線の分野で博士号を取得しました。

こういった私が、解説していきます。

(まずは設立までの経緯を解説)IAEAについて(その1)

それではまず、IAEAが設立された経緯について、第2次世界大戦の少し前の時代から振り返っていきたいと思います。

原子爆弾の開発


1939年秋に第二次世界大戦が始まり、ドイツで原爆に関する研究が開始されている(後に失敗と判明)という情報に危機感を感じたアメリカも原爆研究に着手し、1942年、アメリカにおいて、原子爆弾の開発、いわゆる、マンハッタン計画、が本格的に始まりました。

ロバート・オッペンハイマーロスアラモス国立研究所初代所長)が科学部門のリーダーとなってマンハッタン計画を主導し、軍、科学者、産業界を総動員して事業を進めた結果、1942年の12月には、エンリコ・フェルミによって設計された原子炉:シカゴ・パイル1号が歴史上初めて臨界に達し、世界初の原子炉を完成させます。

1943年には、シカゴ・パイル1号を大型化した、プルトニウム生産のための原子炉の建設がハンフォード・サイトで開始され、いくつかの失敗や方針転換はあったものの、原爆の開発は進められていきました。

原子爆弾の投下


1945年5月には、ナチスドイツが降伏し、ヨーロッパでの第二次世界大戦は終了します。

1945年7月16日、アメリカのニューメキシコ州にあるアラモゴード砂漠のホワイトサンズ射爆場において人類史上初の核実験「トリニティ」が実施されました。

その数週間後、1945年8月6日と9日にそれぞれ、広島と長崎に原子爆弾が投下され、多くの人が犠牲になりました。

冷戦の時代へ


第二次世界大戦後、世界は冷戦の時代に突入し、アメリカ等の西側諸国と、ソビエト連邦等の東側諸国が世界を二分した対立構造が鮮明化してきます。

アメリカは、第二次世界大戦後も、ソビエト連邦に先駆けて核開発を進め、例えば、1946年、1948年と、太平洋で核実験を行いました。

その後も、アメリカが1952年にマーシャル諸島で人類初の水素爆弾の実験を行い、ソビエト連邦もそれに追随して実験を行うなど、世界で、核兵器の開発が進んでいきます。

1954年に同じマーシャル諸島にあるビキニ環礁で、アメリカが行った水爆実験によって、第五福竜丸がその被害を受けたことをご存じの方も多いかもしれません。

また、同時に、第二次世界大戦後のエネルギー需要の増加や、エネルギー源の多様化などの観点から、世界各国で、原子力の商業的利用に対する関心が高まっていきます。

こうした状況の変化の中で生じてきた、核兵器の拡散に対する懸念への対応策として、原子力は国際的に管理すべき、という意見が大きくなっていきました。

演説:「Atoms for Peace」


こうした中、1953年12月、アメリカ合衆国のアイゼンハワー大統領が、国連総会で「原子力の平和利用:Atoms for Peace」について演説し、IAEAの創設に向けた機運が高まっていきました。

この「Atoms for Peace」は、IAEAのモットーとして、長らく使用されました。

現在では、「開発」、という意味の「Development」という言葉も追加され、「Atoms for Peace and Development」というのがIAEAのモットーになっています。

「Atoms for Peace」の演説は、IAEAウェブサイトで全文を見ることができますので、ご関心がある方は是非ご覧ください。

IAEA設立

1954年、国連において、IAEA憲章草案のための協議が開始されました。

1956年には、その草案が採択され、1957年7月29日、IAEA憲章は、必要な批准数を得て発効し、IAEAが発足しました。

ちなみに、日本は、IAEA設立当初からの加盟国であり、理事国(毎年6月の理事会で指定される13か国(我が国を含む原子力先進国)及び総会で選出する22か国の計35か国)でもあり、IAEAの活動に大きく貢献してきました。

最新の理事国については、IAEAのこちらのサイトをご覧ください。

まとめ

今回は、国際原子力機関(IAEA)について、1942年にアメリカで始まったマンハッタン計画の開始から、1957年の設立までの経緯を中心にお話ししました。

ちなみに、以上とほぼ同じ内容を動画にもまとめてみましたので、よろしければご覧ください。

日本語版

英語版

本記事の英語版はこちらからご覧いただけます。

今回は以上となります。

ご覧いただき、ありがとうございました。

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