こんにちは。放射線などについて分かりやすく解説している大地(だいち)です。
今日は、前回の記事の続きとして、
・福島第一原子力発電所の事故の後、避難指示区域が再編されたけど、その後どのように変化していったの?
・再編後の避難指示区域である「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」とは、どのような区域なの?
こういった疑問に答えます。
今回は、前回の続きとして、区域再編後の避難指示解除の始まり(2014年1月)〜帰還困難区域以外の避難指示解除(2020年3月)の期間について説明したいと思います。
以下の図は、主に、福島県のホームページに掲載されている情報を元に作成したので、より詳細な情報を知りたい方はこのページや、国のホームページなども参照してください。
○本記事の内容
- 福島第一原子力発電所の事故による避難指示について(その2)
- 再編後の避難指示区域について
- 帰還困難区域
- 居住制限区域
- 避難指示解除準備区域
- 避難指示区域の変遷について
- 避難指示解除の要件について
- 2014年4月1日
- 2014年10月1日
- 2015年9月5日
- 2016年6月12日
- 2016年6月14日
- 2016年7月12日
- 2017年3月31日
- 2017年4月1日
- 2019年4月10日
- 2020年3月10日
- まとめ
この記事を書いている私は、2011年の福島第一原子力発電所の事故の後、除染や中間貯蔵施設の管理など、継続して放射線の分野での業務に従事してきました。
その間、働きながら大学院に通い(いわゆる社会人ドクター)、放射線の分野で博士号を取得しました。
こういった私が、解説していきます。
福島第一原子力発電所の事故による避難指示について(その2)
前述したとおり、前回の記事では、事故直後から、避難指示区域の再編までの変化を見ていきましたが、避難指示区域の再編後は、空間線量率の低減などを受けて、避難指示が徐々に解除されていきましたので、本記事ではその変化の様子を見てみましょう。
再編後の避難指示区域について
避難指示区域の解除の様子を見る前に、再編後の避難指示区域の分類について、以下の表を元に簡単に説明しておきたいと思います。
被ばく線量 | 区域の運用例 | |
---|---|---|
帰還困難区域 | 5年を経過しても20mSv/yを下回らないおそれ 50mSv/yを超える | 避難の徹底(バリケードの設置等) ただし、スクリーニングの確実な実施、個人線量管理等を徹底した上で、例外的に住民の一時立入も認める 除染やインフラ復旧については、モデル事業等の結果を踏まえ、方向性を検討 |
居住制限区域 | 現時点で20mSv/yを超えるおそれ | 原則避難 住民の一時帰宅(宿泊は禁止)、通過交通、公共目的の立入(インフラ復旧、防災目的)等を認める |
避難指示解除準備区域 | 20mSv/y以下となることが確実 | 原則避難 住民の一時帰宅(宿泊は禁止)、通過交通、公共目的の立入(インフラ復旧、防災目的)等を認める 製造業、営農の再開を柔軟に認める 一時立入の際のスクリーニングは不要 |
帰還困難区域
帰還困難区域は、福島第一原子力発電所から放出された放射性物質による影響を最も強く受けた地域で、主に、福島第一原子力発電所の立地自治体である大熊町や双葉町、大熊町の南に位置する富岡町、同発電所の北西方向にある浪江町、葛尾村、南相馬市、飯舘村に広がっています。
具体的には、区域再編後5年が経過しても、年間の積算被ばく線量が20mSv/yを下回らないおそれがあり、50mSv/yを超える地域とされ、例外的な措置を除き、原則として、バリケードの設置などにより、避難が徹底されてきた区域です。
区域の再編当時は、少なくとも区域の指定は5年間(事故からおよそ6年後まで)は固定するとされていました(こちらを参照してください)が、この記事を書いている時点(事故から11年余り)でも、常磐線の沿線などのごく一部の地域を除き、避難指示は解除されていません。
現在、2022年及び2023年における避難指示解除を目指し、特定復興再生拠点区域の整備が進められているところです(こちらを参照してください)。
この特定復興再生拠点区域など、帰還困難区域における取組については、また別の記事で解説したいと思います。
居住制限区域
居住制限区域は、現時点で20mSv/yを超えるおそれがある地域で、再編前の計画的避難区域だった地域を含む、飯舘村、葛尾村、浪江町、川俣町、南相馬市といった、福島第一原子力発電所から北や北西方向に位置する市町村と、大熊町、富岡町、川内村といった、福島第一原子力発電所の近傍や南西方向に位置する町村に当該地域がありました。
居住制限区域は、原則、住民等は避難を余儀なくされた地域でしたが、住民の一時帰宅(宿泊は禁止)、通過交通、公共目的の立入(インフラ復旧、防災目的)等は認められていた地域でした。
避難指示解除準備区域
避難指示解除準備区域は、その時点では20mSv/yを超えていますが、20mSv/y以下となることが確実とされた地域で、再編後の避難指示区域があった11市町村全てに含まれていました。
この避難指示解除準備区域でも、原則、住民等は避難を余儀なくされましたが、居住制限区域と同様、住民の一時帰宅(宿泊は禁止)、通過交通、公共目的の立入(インフラ復旧、防災目的)等が認められるとともに、製造業や営農の再開が柔軟に認められ、一時立入の際のスクリーニングは不要とされました。
避難指示解除の要件について
ちなみに、避難指示解除の要件については、前述したこちらの文書に、以下の3つの条件が記載されています。
・電気、ガス、上下水道、主要交通網、通信など日常生活に必須なインフラや医療・介護・郵便などの生活関連サービスがおおむね復旧し、
・子どもの生活環境を中心とする除染作業が十分に進捗した段階で
・県、市町村、住民との十分な協議を踏まえ、避難指示を解除する。
ただし、2020年12月に、政府は、前述した特定復興再生拠点区域以外の地域について、人が居住せずに土地を活用する場合については、上に記載した2番目の条件である、除染をしなくても地元の意向を踏まえて解除できることとしています(こちらを参照してください)。
避難指示区域の変遷について
上に示した、再編後の避難指示区域の概要や避難指示解除の要件も踏まえ、2014年4月以降の、避難指示の解除の様子を見ていきましょう。
2014年4月1日
2014年4月1日には、田村市の一部に出されていた避難指示が解除されました。
これが避難指示が解除された初めての事例になりました。
↑2014年4月1日
2014年10月1日
その半年後の2014年10月1日には、川内村の居住制限区域だった地域が、避難指示解除準備区域になり、また、避難指示解除準備区域だった地域の避難指示が解除されました。
↑2014年10月1日
2015年9月5日
2014年の年末に、南相馬市の特定避難勧奨地点の指定が解除された後、翌年2015年9月には、楢葉町の避難指示解除準備区域の避難指示が解除されました。
楢葉町は、全域の避難指示が解除された2つ目の市町村ということになります。
↑2015年9月5日
2016年6月12日
更に、2016年6月には、葛尾村の居住制限区域及び避難指示解除準備区域の避難指示が解除されました。
川内村の場合は、居住制限区域を避難指示解除準備区域に指定しましたが、葛尾村の場合は、避難指示を解除しています。
↑2016年6月12日
2016年6月14日
その2日後には、川内村の避難指示が解除されました。
川内村は、全域の避難指示が解除された3つ目の市町村ということになります。
↑2016年6月14日
2016年7月12日
更に翌月には、南相馬市の居住制限区域及び避難指示解除準備区域の避難指示が解除されました。
↑2016年7月12日
2017年3月31日
更に、翌年の3月末には、飯舘村、川俣町、浪江町の居住制限区域及び避難指示解除準備区域の避難指示が解除されました。
川俣町は、全域の避難指示が解除された4つ目の市町村ということになります。
↑2017年3月31日
2017年4月1日
翌日には、富岡町の居住制限区域及び避難指示解除準備区域の避難指示が解除されました。
↑2017年4月1日
2019年4月10日
それから、更に約2年が経過し、大熊町の居住制限区域及び避難指示解除準備区域の避難指示が解除されました。
↑2019年4月10日
2020年3月10日
そして、更に約1年が経過した2020年3月には、双葉町の避難指示解除準備区域の避難指示が解除されました。
これで、震災から9年が経過して、帰還困難区域以外の避難指示が全て解除されたことになります。
また、3月10日までに、JR常磐線の全線開通に合わせて、大熊町、双葉町、富岡町の帰還困難区域内にある、JR常磐線の駅舎や周辺の道路などの避難指示が解除されました。
↑2020年3月10日
まとめ
今日は、福島第一原子力発電所の事故の避難指示区域等について、区域再編後の区域の違いや、避難指示の解除要件、避難指示解除の始まり(2014年1月)〜帰還困難区域以外の避難指示解除(2020年3月)の期間の避難指示区域の変遷について説明しました。
特に2020年3月以降の帰還困難区域における取組については、また別途解説したいと思います。
ちなみに、以上とほぼ同じ内容を動画にもまとめてみましたので、よろしければご覧ください。
日本語版
英語版
本記事の英語版はこちらからご覧いただけます。
今回は以上となります。
ご覧いただき、ありがとうございました。
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