福島第一原子力発電所の事故による避難指示について(その1)

除染、特定廃棄物の処理

こんにちは。放射線などについて分かりやすく解説している大地(だいち)です。

今日は、

・福島第一原子力発電所の事故の後、避難指示が出されたけど、その後どのように変化していったの?

こういった疑問に答えます。

今回は、事故発生(2011年3月)〜避難指示区域再編完了(2013年8月)の期間について説明したいと思います。

以下の図は、主に、福島県のホームページに掲載されている情報を元に作成したので、より詳細な情報を知りたい方はこのページや、国のホームページなども参照してください。

○本記事の内容

  1. 福島第一原子力発電所の事故による避難指示について(その1)
    • 2011年3月11日
    • 2011年3月12日
    • 2011年3月15日
    • 2011年4月21日
    • 2011年4月22日
    • 2011年9月30日
    • 2012年4月1日
    • 2012年7月17日
    • 2012年8月10日
    • 2012年12月10日
    • 2013年3月22日
    • 2013年3月25日
    • 2013年4月1日
    • 2013年5月28日
    • 2013年8月8日
  2. まとめ

この記事を書いている私は、2011年の福島第一原子力発電所の事故の後、除染や中間貯蔵施設の管理など、継続して放射線の分野での業務に従事してきました。

その間、働きながら大学院に通い(いわゆる社会人ドクター)、放射線の分野で博士号を取得しました。

こういった私が、解説していきます。

福島第一原子力発電所の事故による避難指示について(その1)

それでは、早速、避難指示の変遷について、時系列で見てみましょう。

2011年3月11日

一番最初に避難指示が出されたのは、地震が発生した2011年3月11日です。

福島第一原子力発電所について、原子力災害特別措置法に基づく原子力緊急事態宣言が発令された後、国が、同発電所の半径3km圏内に避難指示を、半径3〜10km圏内に屋内退避指示を出しました(下図)。


↑2011年3月11日

2011年3月12日

翌日の3月12日には、福島第二原子力発電所にも、同法に基づく原子力緊急事態宣言が発令され、国がその半径10km圏内に避難指示を出しました。

一方、福島第一原子力発電所については、原子炉の状況等も踏まえ、当初半径3km圏内だった避難指示は20km圏内にまで拡大されました(下図)。


↑2011年3月12日

2011年3月15日

そして、さらに、その3日後の3月15日には、福島第一原子力発電所から、半径20〜30km圏内に屋内退避指示が出されました(下図)。


↑2011年3月15日

2011年4月21日

4月に入り、福島第二原子力発電所については、重大な事故が生じる可能性が低いことを考慮して、避難指示の範囲を半径10kmから8kmに縮小しました。

これにより、避難指示の範囲は、福島第一原子力発電所から半径20kmになりました(下図)。


↑2011年4月21日

2011年4月22日

ただし、福島第一原子力発電所から半径20km以遠においても、被ばく線量が多いと見込まれる地域が、福島第一原子力発電所から北西方向にあることが分かってきたため、1年間の積算被ばく線量が20mSvに達するおそれがある区域を、「計画的避難区域」として設定しました。

この計画的避難区域では、1ヶ月を目処に避難を実施することが望まれる、とされました。

また、これまで、屋内退避指示区域としていた区域をベースに、「緊急時避難準備区域」が設定されました。

田村市、川内村、広野町ではその境界線が入り組んで複雑になっているのが分かるかと思いますが、田村市では都路地区(旧都路村)という地区との境で区域が設定されており、川内村、広野町については、全町村が区域に入るように設定されています。

緊急時避難準備区域では、全住民の避難が求められるものではありませんでしたが、当時は、福島第一原子力発電所の状況がまだ安定したと見なせる状況ではなく、緊急に避難などの対応が求められる可能性があったことも考慮して、妊婦などの避難や、その他の住民の自主的避難も促されていました(下図)。


↑2011年4月22日

また、同日、福島第一原子力発電所から、半径20km圏内は、海域も含め、立入制限、退去命令もあり得る、災害対策基本法に基づく、警戒区域として設定されました(下図)。


↑2011年4月22日

これらをまとめると、下の図のようになります。


↑2011年4月22日

2011年9月30日

更に、空間線量率の詳細な調査が進む中で、避難指示区域や、上で説明した計画的避難区域以外でも、事故後1年間の積算線量が20mSvを超える可能性がある地点が存在することが分かってきたため、国は、その地点ごとに、「特定避難勧奨地点」を設定し、避難などの支援をすることとしました。

これが、避難指示などの範囲としては、最も範囲が広かった時期で、特定避難勧奨地点の除けば、12市町村(特定避難勧奨地点を含めると13市町村)に及んでいます(下図)。


↑2011年9月30日(緊急時避難準備区域解除前)

2011年9月30日には、福島第一原子力発電所の原子炉施設の安全性を確認したとして、緊急時避難準備区域の指定が解除されました(下図)。


↑2011年9月30日(緊急時避難準備区域解除後)

2012年4月1日

2011年の年末には、国は、福島第一原子力発電所の原子炉は、安定状態を達成し、発電所全体の安全性が総合的に確保されている、と判断しました(参考:第22回 原子力災害対策本部 配布資料)。

そして、災害対策基本法に基づく警戒区域を解除し、避難指示区域を、年間積算線量に応じた、新たな3つの避難区域(「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」)に分類する方針を示しました。

特に福島第一原子力発電所から20km圏内は、単純に発電所からの距離で一律避難区域としていたものを、避難指示は継続しつつも、推定される被ばく線量に応じて、対応の内容を更に細かく分類しよう、というものでした。

避難指示区域再編の方針を踏まえて、2012年4月1日には、川内村の一部が居住制限区域および避難指示解除準備区域に、田村市の一部が避難指示解除準備区域に、4月16日には南相馬市の一部が3つの区域に再編されました(下図)。


↑2012年4月1日(南相馬市の再編は4月16日)

2012年7月17日

その後も関係自治体との協議等を経て、避難指示区域の見直しが進められていきました。

2012年7月17日には、計画的避難区域だった飯舘村が、3つの区域に再編されました(下図)。


↑2012年7月17日

2012年8月10日

2012年8月10日には、大部分が警戒区域だった楢葉町が、避難指示解除準備区域に指定されました(下図)。


↑2012年8月10日

2012年12月10日

2012年12月10日には、全域が警戒区域だった大熊町が3つの区域に再編されました(下図)。


↑2012年12月10日

2013年3月22日

2012年の12月には、伊達市および川内村にあった、特定避難勧奨地点の指定が解除され、また、2013年3月22日には、警戒区域および計画的避難区域だった葛尾村が、3つの区域に再編されました(下図)。


↑2013年3月22日

2013年3月25日

葛尾村の区域再編から3日後の2013年3月25日には、全域が警戒区域だった富岡町も3つの区域に再編されました(下図)。


↑2013年3月25日

2013年4月1日

2013年4月1日には、警戒区域および計画的避難区域だった浪江町が3つの区域に再編されました(下図)。


↑2013年4月1日

2013年5月28日

2013年5月28日には、全域が警戒区域だった双葉町が、そのほとんどが帰還困難区域になり、ごく一部の地域が避難指示解除準備区域となりました(下図)。


↑2013年5月28日

2013年8月8日

2013年8月8日には、計画的避難区域だった川俣町が、居住制限区域と、避難指示解除準備区域に再編され、これで、従来の警戒区域や計画的避難区域は全て、「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」に再編されました(下図)。


↑2013年8月8日

再編後の3つの区域(帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域)の違いや、その指定の解除の様子などについては、こちらの記事でより詳細に解説していきたいと思います。

まとめ

今日は、福島第一原子力発電所の事故後の避難指示区域等について、事故発生(2011年3月)〜避難指示区域再編完了(2013年8月)の期間の変遷について説明しました。

地震発生当日(2011年3月11日)から出された避難指示は、当初は、原子力発電所からの距離を元に決められていましたが、放射性物質による汚染の実態が明らかになってくる中で、福島第一原子力発電所の状況も踏まえ、徐々に、推計される被ばく線量の値を元に避難指示区域が再編されていきました。

ちなみに、以上とほぼ同じ内容を動画にもまとめてみましたので、よろしければご覧ください。

日本語版

英語版

本記事の英語版はこちらからご覧いただけます。

今回は以上となります。

ご覧いただき、ありがとうございました。

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