(欧州放射線現地レポート)ロンネブルクにおける鉱山開発・環境修復

こんにちは。放射線などについて分かりやすく解説している大地(だいち)です。

こちらの記事に続き、私が旅する中で実際に体験してきた、放射線を巡る欧州の利用実態や環境修復の取組についてレポートしたいと思います。

第1回のバート・ガシュタイン第2回のバート・シュレーマ第3回のヤーヒモフに続き、第4回は、ドイツ東部にある町で、旧ウラン鉱山の環境修復の地として知られるロンネブルク(Ronneburg)についてご紹介したいと思います。

ロンネブルクは、第二次世界大戦前は農村地域に囲まれた、繊維工業を中心とする小規模な工業都市でしたが、第二次世界大戦後に旧ソ連の核兵器開発用の大規模なウラン採掘が行われた町です。

バート・シュレーマと同様、1990年の東西ドイツ統合後は、その地は環境修復が行われ、現在は公園などとして再生を遂げた町として知られています。

つまり、今回は、

・ ロンネブルクってどんな町なの?
・ ロンネブルクにおけるウラン採掘の歴史って?
・ ロンネブルクではどのように環境修復がなされたの?
・ ロンネブルクの学習トレイルって何?

こういった疑問に答えます。

○本記事の内容

  1. (欧州放射線現地レポート)ロンネブルクにおける鉱山開発・環境修復
  2. はじめに
  3. 旅程とルート
  4. ロンネブルクについて
  5. ウラン採掘による町の発展
  6. 採掘終了後の環境修復について
    • 鉱山施設と鉱山廃石堆積場
    • 環境修復の考え方と実施主体
    • 現在の土地利用
  7. 露天掘り周回路について
    • 露天掘り周回路とは
    • みどころ① Wismut博物館(Objekt90)
    • みどころ② 博物館前の公園(ロンネブルク再生景観公園)
    • みどころ③ 竜の尾橋
    • みどころ④ 立坑櫓のミニチュア模型群
    • みどころ⑤ 消えた村:シュミルヒャウに関する展示
    • みどころ⑥ シュミルヒャウアー・ヘーエ
  8. まとめ

この記事を書いている私は、2011年の福島第一原子力発電所の事故の後、除染や中間貯蔵施設の管理など、継続して放射線の分野での業務に従事してきました。

その間、働きながら大学院に通い(いわゆる社会人ドクター)、放射線の分野で博士号を取得しました。

こういった私が、解説していきます。

(欧州放射線現地レポート)ロンネブルクにおける鉱山開発・環境修復

まず、旅の基本情報についてお伝えした後、ロンネブルクの歴史、ロンネブルクにおける環境修復の取組と私が実際に歩いた露天掘り周回路について解説していきます。

はじめに

後ほど詳しく解説しますが、ロンネブルクは、バート・シュレーマと同様、第二次世界大戦後の旧東ドイツにおけるウラン鉱山開発と、その後の環境修復の場として知られている町です。

旧東ドイツの、チェコとの国境に近い地域にはこうしたウラン鉱山開発終了後の環境修復が行われている場所はいくつかあるのですが、ロンネブルクは特にその規模が大きいことで有名であるため、今回訪問することにしました。

同じ旧東ドイツのバート・シュレーマとの違いなどを感じるためにも、是非一度訪れたい町でした。

旅程とルート


(ドレスデン、ロンネブルクなどの大まかな位置関係。正確な位置については別途地図等でご確認ください。)

今回の旅程とルートは以下の通りです。

8月5日(水)
・深夜に夜行列車(Nightjet)でウィーンを出発。

8月6日(木)
・早朝にドレスデンに到着。ドレスデン中央駅から電車で1時間ほどでライプツィヒ中央駅へ。
・ライプツィヒ中央駅から更に1時間ほどでゲーラ駅へ。ゲーラ駅で乗り換え、10分ほどでロンネブルク駅に到着。
・ホテルにチェックインし、ロンネブルクの環境修復現場へ。
・約2時間ほどかけて徒歩でシュミルヒャウアー・ヘーエへ。その後、再びロンネブルクに戻り、Wismutの博物館(Objekt90)へ。
・博物館を出てロンネブルク再生景観公園を散策。
・町の中心に戻り、ロンネブルク泊。

8月7日(金)
・ロンネブルクを電車で出発し、途中ケムニッツで乗り換えて、3時間ほどかけてドレスデンへ。
・ホテルに荷物を預けて、ドレスデンの町を散策。
・ドレスデン泊。

8月8日(土)
・引き続きドレスデン観光。夕方にベルリン在住の友人と合流し夕食。
・夜にドレスデンを出発。

8月9日(日)
・朝にウィーンに到着。

ロンネブルクについて

ロンネブルク(Ronneburg)は、ドイツ東部のテューリンゲン州に位置する人口約5,000人の小さな町です。

州東部の主要都市ゲーラ(Gera)から東へ約10km、ライプツィヒからは南へ約60kmの場所にあります。

以前ご紹介したバート・シュレーマなどとは異なり、ロンネブルクはエルツ山地には位置しておらず、また、中世から銀などの鉱山開発で栄えたり、後に保養地として発展した町でもありません。

ロンネブルクの歴史は中世までさかのぼり、13世紀には町としての記録が残されています。その後は、周辺の農村地域の中心地として発展し、19世紀以降には繊維産業をはじめとする工業も発達しました。

第二次世界大戦前までは、ウラン鉱山とは特に関係のない地方都市でしたが、第二次世界大戦後に周辺でウラン鉱床が発見されたことで、町の性格は大きく変わることになります。

ウラン採掘による町の発展

採掘終了後の環境修復について

鉱山施設と鉱山廃石堆積場

環境修復の考え方と実施主体

現在の土地利用

露天掘り周回路について

露天掘り周回路とは

みどころ① Wismut博物館(Objekt90)

みどころ② 博物館前の公園(ロンネブルク再生景観公園)

みどころ③ 竜の尾橋

みどころ④ 立坑櫓のミニチュア模型群

みどころ⑤ 消えた村:シュミルヒャウに関する展示

みどころ⑥ シュミルヒャウアー・ヘーエ

まとめ

本記事の英語版はこちらからご覧いただけます。

今回は以上となります。

ご覧いただき、ありがとうございました。

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