(欧州放射線現地レポート)ロンネブルクにおける鉱山開発・環境修復

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こんにちは。放射線などについて分かりやすく解説している大地(だいち)です。

第1回のバート・ガシュタイン、第2回のバート・シュレーマ、第3回のヤーヒモフに続き、私が旅する中で実際に体験してきた、放射線を巡る欧州の利用実態や環境修復の取組についてレポート(第4回)は、ドイツ東部にある町で、旧ウラン鉱山の環境修復の地として知られるロンネブルク(Ronneburg)についてご紹介したいと思います。

ロンネブルクは、第二次世界大戦前は農村地域に囲まれた、繊維工業を中心とする小規模な工業都市でしたが、第二次世界大戦後に旧ソ連の核兵器開発用の大規模なウラン採掘が行われた町です。

バート・シュレーマと同様、1990年の東西ドイツ統合後は、その地は環境修復が行われ、現在は公園などとして再生を遂げた町として知られています。

つまり、今回は、

・ ロンネブルクってどんな町なの?
・ ロンネブルクにおけるウラン採掘の歴史って?
・ ロンネブルクではどのように環境修復がなされたの?
・ ロンネブルクの露天掘り周回路って何?

こういった疑問に答えます。

○本記事の内容

  1. (欧州放射線現地レポート)ロンネブルクにおける鉱山開発・環境修復
  2. はじめに
  3. 旅程とルート
  4. ロンネブルクについて
  5. ウラン採掘による町の発展
  6. 採掘終了後の環境修復について
    • 鉱山施設と鉱山廃石堆積場
    • 環境修復の考え方と実施主体
    • 現在の土地利用
  7. 露天掘り周回路について
    • 露天掘り周回路とは
    • みどころ① Wismut博物館(Objekt90)
    • みどころ② ロンネブルク再生景観公園
    • みどころ③ 竜の尾橋
    • みどころ④ 立坑櫓のミニチュア模型群
    • みどころ⑤ 消えた村:シュミルヒャウに関する展示
    • みどころ⑥ シュミルヒャウアー・ヘーエ
      • 巨大な鉱山ランプ
      • 歩ける地図
      • 名前が刻まれた石
      • Wismutのリヒテンベルク拠点
      • 水処理施設
      • Wismutの専用鉄道
      • 太陽光発電施設
  8. まとめ

この記事を書いている私は、2011年の福島第一原子力発電所の事故の後、除染や中間貯蔵施設の管理など、継続して放射線の分野での業務に従事してきました。

その間、働きながら大学院に通い(いわゆる社会人ドクター)、放射線の分野で博士号を取得しました。

こういった私が、解説していきます。

(欧州放射線現地レポート)ロンネブルクにおける鉱山開発・環境修復

まず、旅の基本情報についてお伝えした後、ロンネブルクの歴史、ロンネブルクにおける環境修復の取組と私が実際に歩いた露天掘り周回路について解説していきます。

はじめに

後ほど詳しく解説しますが、ロンネブルクは、バート・シュレーマと同様、第二次世界大戦後の旧東ドイツにおけるウラン鉱山開発と、その後の環境修復の場として知られている町です。

旧東ドイツの、チェコとの国境に近い地域にはこうしたウラン鉱山開発終了後の環境修復が行われている場所はいくつかあるのですが、ロンネブルクは特にその規模が大きいことで有名であるため、今回訪問することにしました。

同じ旧東ドイツのバート・シュレーマとの違いなどを感じるためにも、是非一度訪れたい町でした。

旅程とルート


(ドレスデン、ロンネブルクなどの大まかな位置関係。正確な位置については別途地図等でご確認ください。)

今回の旅程とルートは以下の通りです。

8月5日(水)
・深夜に夜行列車(Nightjet)でウィーンを出発。

8月6日(木)
・早朝にドレスデンに到着。ドレスデン中央駅から電車で1時間ほどでライプツィヒ中央駅へ。
・ライプツィヒ中央駅から更に1時間ほどでゲーラ駅へ。ゲーラ駅で乗り換え、10分ほどでロンネブルク駅に到着。
・ホテルにチェックインし、ロンネブルクの環境修復現場へ。
・約2時間ほどかけて徒歩でシュミルヒャウアー・ヘーエへ。その後、再びロンネブルクに戻り、Wismutの博物館(Objekt90)へ。
・博物館を出てロンネブルク再生景観公園を散策。
・町の中心に戻り、ロンネブルク泊。

8月7日(金)
・ロンネブルクを電車で出発し、途中ケムニッツで乗り換えて、3時間ほどかけてドレスデンへ。
・ホテルに荷物を預けて、ドレスデンの町を散策。
・ドレスデン泊。

8月8日(土)
・引き続きドレスデン観光。夕方にベルリン在住の友人と合流し夕食。
・夜にドレスデンを出発。

8月9日(日)
・朝にウィーンに到着。


(ドレスデン中央駅)


(ロンネブルク駅)

ロンネブルクについて

ロンネブルク(Ronneburg)は、ドイツ東部のテューリンゲン州に位置する人口約5,000人の小さな町で、州東部の主要都市ゲーラ(Gera)から東へ約10km、ライプツィヒからは南へ約60kmの場所にあります。

ただ、以前ご紹介したバート・シュレーマなどとは異なり、ロンネブルクはエルツ山地には位置していません。

ロンネブルクの歴史は中世までさかのぼり、13世紀には町としての記録が残されていますが、こちらもバート・シュレーマなどとは異なり、中世から銀などの鉱山開発で栄えた町でもありません。

18世紀後半には鉱泉を利用した保養地「バート・ロンネブルク(Bad Ronneburg)」として一時期発展し、19世紀以降には繊維産業をはじめとする工業も発達しましたが、保養地については、20世紀初頭にはその人気と重要性を失っていました。

その後も、第二次世界大戦前までは、ウラン鉱山とは特に関係のない地方都市でしたが、第二次世界大戦後に周辺でウラン鉱床が発見されたことで、町の性格は大きく変わることになります。

ウラン採掘による町の発展

第二次世界大戦後、旧ソ連は核開発に必要なウランを確保するため、占領下にあった東ドイツでウラン鉱床の探査と開発を進めました。

1947年にはソ連国営企業のSAG Wismutが設立され、その後1954年には東ドイツとの共同企業であるSDAG Wismutへと移行し、大規模なウラン採掘が行われるようになりました。

ロンネブルク周辺では1950年代からウラン採掘が本格化し、地下坑道による採掘に加え、1958年には町の南側でリヒテンベルク露天掘り鉱山(Tagebau Lichtenberg)の操業が始まりました。

この露天掘り鉱山は、最終的には長さ約2km、幅約1km、深さ約230mに達する巨大なものとなりました。

また、採掘に伴って発生した大量の岩石によって、周囲には巨大な廃石堆積場が形成され、ロンネブルク周辺の景観は大きく変化しました。

鉱山で働く多くの労働者が集まり、ロンネブルクは東ドイツを代表するウラン鉱山地域の一つとして発展する一方、鉱山開発によってシュミルヒャウ(Schmirchau)、リヒテンベルク(Lichtenberg)、ゲッセン(Gessen)などの集落が姿を消しました。

リヒテンベルク露天掘り鉱山でのウラン鉱石の採掘は1976年に終了しましたが、ロンネブルク地域ではその後も地下での採掘が続けられました。

そして1990年、ドイツ再統一とともにSDAG Wismutによるウラン採掘は終了し、ロンネブルクは長年の鉱山開発によって残された大規模な鉱山跡地の環境修復という新たな課題に直面することになります。


(当時のリヒテンベルク露天掘り鉱山の様子。左にロンネブルク再生景観公園の場所が示されています。)

採掘終了後の環境修復について

それでは、ウラン採掘の終了後の環境修復の取組について見ていきましょう。

鉱山施設と鉱山廃石堆積場

1990年にウラン採掘が終了した時点で、ロンネブルク周辺には、長年にわたる大規模な鉱山開発によるさまざまな施設や跡地が残されていました。

地下には広大な坑道や多数の立坑が存在し、地上には鉱山施設のほか、リヒテンベルク露天掘り鉱山の巨大な採掘跡が残されていました。

中でも大きな問題となったのが、ウラン鉱石の採掘に伴って発生した大量の鉱山廃石です。

ロンネブルク地域には14か所の鉱山廃石堆積場(Halde)が存在し、その総体積は約1億4,100万m³に達していました1)。

これらの鉱山廃石堆積場は、そのまま残すことはできず、斜面の安定性に加え、粉じんの飛散やラドンの放出などによる周辺環境への影響への対応が必要となりました。

以前ご紹介したバート・シュレーマでは、ウラン採掘に伴って42か所、総容量約4,500万m³の鉱山廃石堆積場が形成されました2)。

これと比較すると、ロンネブルクでは堆積場の数は少ないものの、廃石の総量は3倍以上に及んでいたことになります。

このため、採掘終了後のロンネブルクでは、地下の鉱山施設から地上の鉱山跡地、巨大な露天掘り跡や鉱山廃石堆積場に至るまで、広大な地域を対象とした環境修復が必要となりました。

1) Wismut GmbH, Mining Remediation – Taking Responsibility, Shaping the Future (2023)
https://www.wismut.de/fileadmin/user_upload/PDF/BMWK/wismut-mining-remediation_2023_engl.pdf

2) Wismut GmbH, UNESCO World Heritage – Erzgebirge/Krušnohoří Mining Region
https://www.wismut.de/en/locations/experience-wismut/unesco-world-heritage


(当時のリヒテンベルク露天掘り鉱山の様子。奥に大きな鉱山廃石の山が見えています。)

環境修復の考え方と実施主体

1990年のドイツ再統一後、旧東ドイツのウラン鉱山によって残された環境問題への対応は、ドイツ連邦政府が責任を負うこととなりました。

1991年には、旧ソ連との合弁企業であったSDAG Wismutが、ドイツ連邦政府を唯一の株主とするWismut GmbHへと改組され、鉱山の閉鎖と環境修復を主な役割とする企業へと大きく転換することになります。

環境修復では、地下鉱山の閉鎖、鉱山施設の解体、汚染された土地の修復、鉱山廃石堆積場の安定化、鉱山水の処理など、鉱山開発によって残されたさまざまな問題への対応が進められました。

また、主要な修復が終了した後も、水処理や環境モニタリング、修復された土地の維持管理などが長期的に続けられていて、この基本的な枠組みは、以前ご紹介したバート・シュレーマとも共通しています。

一方、それぞれの鉱山跡地の状況に応じて、具体的な修復方法には違いがありました。

特に鉱山廃石堆積場については、バート・シュレーマを含むザクセン州の鉱山跡地では主にその場で整形・被覆する方法が採られたのに対し、ロンネブルクでは大部分の廃石堆積場を撤去し、リヒテンベルク露天掘り鉱山跡へ移すという大規模な修復が行われました。

現在の土地利用

環境修復が進められたロンネブルクの旧鉱山地域は、現在では緑豊かな景観へと大きく姿を変えています。

その象徴となっているのが、「ロンネブルク再生景観公園(Neue Landschaft Ronneburg)」です。

かつて鉱山施設や鉱山廃石堆積場が広がっていた地域は、環境修復とあわせて公園や緑地として整備されました。

2007年には、隣町のゲーラ(Gera)とロンネブルクを会場としてドイツ連邦園芸博覧会(Bundesgartenschau:BUGA 2007)が開催され、再生された鉱山跡地が主要会場の一つとなり、鉱山開発によって大きく改変された景観を新たな公園へと転換する取組そのものが、博覧会の大きなテーマとなりました3)。

博覧会の終了後も、この地域は公園として維持され、市民の散策やレクリエーション、観光、イベントなどに利用されています。

また、鉱山の歴史を伝える展示や施設も残されており、ウラン鉱山開発の歴史やその後の環境修復について学ぶ場としての役割も担っています。

こうした土地利用は、以前ご紹介したバート・シュレーマとも共通するものがあります。

バート・シュレーマでも、ウラン鉱山によって大きく改変された土地が環境修復後にクアパークとして再生され、2027年にはザクセン州園芸博覧会(Landesgartenschau)の会場となる予定です4)。

同博覧会では「鉱山から園芸博覧会へ―変化を体験する(Vom Bergbau zur Gartenschau – Wandel erleben)」という考え方が掲げられています。

このように、ロンネブルクとバート・シュレーマでは、ウラン鉱山跡地を単に環境修復するだけではなく、公園や緑地として地域社会に再び開放し、新たな地域の魅力へとつなげている点も共通しています。

3) Stadt Ronneburg, BUGA – Stadt Ronneburg – 2007
https://ronneburg.de/ronneburg/kultur-und-sport/grossereignisse/

4) Landesgartenschau Aue-Bad Schlema 2027, Das Gelände
https://www.landesgartenschau.eu/erleben/das-gelaende/


(シュミルヒャウアー・ヘーエへと続く道。車も通れるような道が整備されている箇所も多いです。)

露天掘り周回路について

ここからは、私が実際に歩いた露天掘り周回路(Tagebaurundweg)について、そのみどころを解説していきます。

露天掘り周回路とは

露天掘り周回路は、Wismut GmbHによる環境修復が進められた旧露天掘り鉱山周辺を一般の人が歩けるように整備したもので、2022年8月に開通しました。

全長は約7kmで、一周には約2時間が目安とされています。

ルートは、かつての巨大なリヒテンベルク露天掘り鉱山の縁に沿って設けられており、歩きながら、露天掘り鉱山がどれほど大きなものであったのかを実感できるようになっています。

途中には、環境修復によって形成された景観だけでなく、現在もWismutが管理する施設などを見ることができますし、また、ルートから分岐して、高低差約100mを登ると、旧露天掘り跡を埋め戻して形成された高台「シュミルヒャウアー・ヘーエ(Schmirchauer Höhe)」へ行くこともできます。

なお、このルートは正式にはバート・シュレーマのような「学習トレイル(Lehrpfad)」ではありませんが、かつての鉱山や失われた集落、環境修復などについて紹介する説明板や展示が設けられており、実際に歩きながらロンネブルクのウラン鉱山の歴史と環境修復について知ることができます。

みどころ① Wismut博物館(Objekt90)

正確には露天掘り周回路の一部ではありませんが、是非訪れたいのが「Wismut Objekt 90」です。

ロンネブルク再生景観公園の入口付近にあり、Wismutによるウラン採掘の歴史と、その後の環境修復について紹介する展示施設です。

館内では、第二次世界大戦後に始まったWismutによるウラン採掘から、東ドイツを代表する大規模な鉱山事業への発展、1990年の採掘終了、そしてその後の環境修復までを、歴史資料、写真、映像、模型などを通じて紹介しています。

バート・シュレーマのウラン鉱山博物館は特にウラン採掘や労働者の生活に焦点が当てられていましたが、この博物館はそれだけでなく、採掘終了後の環境修復までを一連の歴史として紹介していることが特徴だと感じました。

博物館でウラン採掘が行われていた頃の姿を知ったうえで周回路を歩くと、ロンネブルクで行われた環境修復の規模をより実感することができます。

なお、「Objekt 90」という少し変わった名称は、ロンネブルク地域でウラン鉱床の開発を行うため、1951年に設置されたSAG Wismutの「Bergbauobjekt 90(鉱山事業所90。ロンネブルク鉱床の本格的な開発を担った組織の一つ。)」に由来します。

博物館は入場無料ですが、営業時間は木曜日から日曜日および祝日の13時~17時となっていますので、現地を訪れる際には、訪問日や訪問時間を事前に計画されることをお勧めします。

私が訪問した際には、Wismutを退職した元従業員の方(35年間採掘していた、と仰っていました)が展示内容を丁寧に説明してくれました(定年後の雇用の機会にもなっているのかもしれません)。


(Wismut博物館(Objekt90))


(Wismut博物館内の展示。ウラン鉱山の様子が細かく再現されていました。)

みどころ② ロンネブルク再生景観公園

Wismut博物館(Objekt 90)の前には、「ロンネブルク再生景観公園(Neue Landschaft Ronneburg)」の緑豊かな景観が広がっています。

この一帯は、かつてWismutによるウラン採掘によって大きく改変された地域でしたが、採掘終了後の環境修復と景観整備によって、新しい公園・緑地へと生まれ変わりました。

現在のロンネブルク再生景観公園は旧鉱山地域を中心とする約800haの広大なエリアで、公園内には芝生や樹木が広がり、バラ園や樹木園、遊び場などのほか、かつての鉱山の立坑櫓をイメージして設計された、高さ20mの展望・クライミング施設であるエンデッカートゥルム(Entdeckerturm)なども整備されています。


(ロンネブルク再生景観公園。散策路、展望台、鉱山に関する展示、遊具などが整備されていました。)

みどころ③ 竜の尾橋

ロンネブルク再生景観公園を進んでいくと、特徴的な形をした「竜の尾橋(Drachenschwanzbrücke)」が現れます。

この橋は、2007年にゲーラとロンネブルクで開催されたドイツ連邦園芸博覧会(BUGA 2007)にあわせて整備されたもので、全長225mに及ぶ、ドイツでも有数の長さを持つ木造橋です。

橋の大きな特徴は、その名前のとおり、竜の尾のように上下に波打つ独特の形状です。

木材を利用した薄い橋桁を細い支柱で支える構造となっており、周囲のなだらかな景観に溶け込むように設計されていて、眼下には環境修復によって再生された谷の景観を眺めることができます。


(竜の尾橋。上下に波打つ形状が特徴的です。)

みどころ④ 立坑櫓のミニチュア模型群

シュミルヒャウアー・ヘーエへ向かって歩いていくと、高台の中腹に多数の立坑櫓の模型が並んでいる場所があります。

これは、かつてロンネブルク鉱山地域に存在したさまざまな立坑櫓(Förderturm)をミニチュアで再現したものです。

立坑櫓は、地下深くに造られた坑道と地上を結び、作業員や資材、採掘した鉱石などを昇降させるための施設で、鉱山を象徴する存在でもあります。

この模型群は、リヒテンベルク露天掘り鉱山跡を埋め戻して造成されたシュミルヒャウアー・ヘーエへと続く高台の中腹にあって、ここからは前述したロンネブルク再生景観公園や竜の尾橋を見渡すこともできます。


(立坑櫓のミニチュア模型群。様々な種類の模型があって、一つ一つに解説板が設置されています。)


(立坑櫓のミニチュア模型群の横にある展望台からの景色。ロンネブルク再生景観公園などを一望できます。)

みどころ⑤ 消えた村:シュミルヒャウに関する展示

シュミルヒャウアー・ヘーエへ向かう途中には、「消えた村(Verschwundene Dörfer)」と題された展示があります。

ウラン鉱山が開発される以前、この地域にはいくつもの村や集落が存在していましたが、ウラン採掘の拡大に伴い、露天掘り鉱山や鉱山廃石堆積場などを建設するため、東テューリンゲンでは4つの村が完全に、3つの集落が部分的に撤去され、約2,000人が移転を余儀なくされました。

その中でも、ロンネブルクに最も深く関係するのがシュミルヒャウ(Schmirchau)です。

シュミルヒャウは、鉱山開発によって消滅した村の中で最大のもので、第二次世界大戦直後の1948年には38戸、365人が暮らしていました。

1950年代にウラン鉱山開発が本格化すると村は段階的に撤去され、1962年には最後に残っていた建物も姿を消しました。

村には教会や墓地もありました。村の撤去に伴って墓地もなくなり、埋葬されていた遺骨はロンネブルクの墓地へ移されました。

現在、この場所にはシュミルヒャウという地名と、かつてここに人々の暮らしがあったことを伝える記念碑や説明板が設置されています。

消滅したのはシュミルヒャウだけではありません。

近隣のリヒテンベルク(Lichtenberg)も鉱山開発によってほぼ姿を消し、現在残っているのはわずかな建物だけです。

また、ゲッセン(Gessen)では当初、村そのものを撤去する計画はありませんでしたが、1966年に鉱山廃石の大規模な地すべりが発生し、その後住民の移転が進められました。

その他、東テューリンゲン全体では、クルミッチュ(Culmitzsch)、カッツェンドルフ(Katzendorf)などもウラン採掘や鉱石処理施設の拡大によって消滅し、ゾルゲ=ゼッテンドルフ(Sorge-Settendorf)やガウエルン(Gauern)でも集落の一部が失われました。

この展示を見ると、ウラン鉱山開発が周辺の景観を変えただけではなく、そこに暮らしていた人々の生活や地域社会そのものにも大きな影響を与えたことが分かります。

一方、現在ではその場所が環境修復によって新しい景観へと姿を変えており、失われた村の記憶を残すことも、ロンネブルクにおける鉱山跡地の再生の一部となっています。


(鉱山開発により消滅したシュミルヒャウ村の名前が刻まれた石碑。この横には消滅前の村の様子などを伝える解説板がありました。)

みどころ⑥ シュミルヒャウアー・ヘーエ

露天掘り周回路から坂道をさらに登っていくと、標高373mのシュミルヒャウアー・ヘーエ(Schmirchauer Höhe)に到着します。

現在は草原が広がる丘ですが、これは自然に形成された山ではなく、この場所にはかつて、リヒテンベルク露天掘り鉱山(Tagebau Lichtenberg)がありました。

リヒテンベルク露天掘り鉱山は長さ約2km、幅約1km、最大深度約230mに達する巨大なもので、採掘終了後、Wismutは周辺に残されていた鉱山廃石堆積場を撤去し、その廃石などを露天掘り跡へ移す大規模な環境修復を行いました。

その結果、1億2,500万m³を超える廃石などが旧露天掘り跡に収容され、さらに地上部分にも盛り上げることによって、現在の巨大な人工地形が形成されました。

シュミルヒャウアー・ヘーエは、その最高地点に位置していて、名前は、ウラン鉱山開発によって姿を消したシュミルヒャウ村に由来します。

以下に、頂上にあるもの、そして、頂上から見ることができる、過去の鉱山開発や現在も続けられている環境修復・長期管理に関係する施設などを挙げてみました。


(奥に見えるのがシュミルヒャウアー・ヘーエ。ところどころに案内板がありました。)

巨大な鉱山ランプ

シュミルヒャウアー・ヘーエの頂上でひときわ目を引くのが、巨大な坑夫用ランプをかたどったグルーベンゲロイヒト(Grubengeleucht)です。

「Grubengeleucht」とは、ドイツ語で鉱山の坑内で使用する照明器具、すなわち坑内灯を意味します。

このモニュメントは、かつてWismutのウラン鉱山で働いた人々と、この地域の鉱山の歴史を後世に伝えることを目的として、Wismut鉱山伝統協会(Bergbautraditionsverein Wismut)によって建設され、2012年に完成しました。

高さは約20mあり、遠くからでもシュミルヒャウアー・ヘーエの目印となっています。

特徴的なのは、単なる記念碑ではなく、展望施設としても造られていることです。

ランプの下部には高さ約5mの展望台が設けられており、ここから、環境修復によって形成された広大な人工地形や、かつてのWismut鉱山地域を見渡すことができます。

シュミルヒャウアー・ヘーエそのものが、リヒテンベルク露天掘り鉱山を廃石などで埋め戻して形成された人工の丘です。

その最高地点に鉱山ランプが立っていることから、このモニュメントは、かつてのウラン採掘の歴史と、採掘終了後の環境修復によって生まれた現在の景観を象徴する存在ともいえます。


(巨大な鉱山ランプをかたどった展望施設。Wismutのロゴも見えます。)

歩ける地図

グルーベンゲロイヒト(Grubengeleucht)の周囲には、「歩ける地図(begehbare Landkarte)」と呼ばれるユニークな展示が広がっています。

一見すると、草原の中に大小さまざまな石や石柱が点在しているように見えますが、これらは、かつてロンネブルク周辺に広がっていたWismutのウラン鉱山地域を地上に再現したものです。

Wismutによると、この地図は、ウラン採掘によってどれほど広い範囲が利用され、その後どれほど大規模な環境修復が必要となったのかを視覚的に示すためにつくられています。

地図上では、石などを使って、地下鉱山の鉱区の境界や露天掘り鉱山の範囲、シュミルヒャウ(Schmirchau)、リヒテンベルク(Lichtenberg)、ゲッセン(Gessen)などのかつて存在した村や集落、立坑、円錐形の鉱山廃石堆積場などが表現されています。

この「歩ける地図」は、現在の景観だけからは分からなくなった、かつての村、鉱山、立坑、廃石堆積場などの位置関係を、実際に歩きながら知ることのできる展示となっています。

なお、地図の輪郭を形づくっている石の中には、多くの人々の名前が刻まれたものがありますが、これについては、次の項目でご紹介します。


(「歩ける地図」の遠景。かつてのウラン鉱山地域が再現されています。)


(「歩ける地図」の近景。輪郭を形作っている石の中には、「名前の石」も含まれています。)

名前が刻まれた石

「歩ける地図」の中を歩いていると、多数の石に人の名前を記した小さなプレートが取り付けられていることに気づきます。

これらは「名前の石(Namenssteine)」と呼ばれるもので、Wismut鉱山伝統協会(Bergbautraditionsverein Wismut)が募っている寄付によって設置されたものです。

同協会は、東テューリンゲンにおけるウラン採掘とその後の環境修復の歴史を後世に伝えるため、「私の名前をシュミルヒャウアー・ヘーエに(Mein Name für die Schmirchauer Höhe)」という寄付を募っています。

30ユーロ以上を寄付すると、寄付者本人、または寄付者が指定した人物の名前を記したプレートが設置されます。

この活動には、単なる施設整備のための資金集め以上の意味があります。

かつてウラン採掘は東テューリンゲンを代表する産業の一つであり、数万人の人々が直接・間接的にWismutと関わっていました。

名前を残すことで、鉱山で働いた人々やその家族を含め、この地域とWismutとの関わりを記憶に残すことも、この取組の目的となっています。

実際に、亡くなった元鉱山労働者を家族が記念して名前を残した例もあります。

この取組は大きく広がり、2026年3月末までに3,488枚の名前プレートが設置され、寄付総額は約14万7,000ユーロに達しています。

用意されていた石がいっぱいになったため、2013年以降はグルーベンゲロイヒト(Grubengeleucht)の基礎部分にも新しい名前プレートが設置されています。

現在ではウラン鉱山の施設の多くが姿を消していますが、シュミルヒャウアー・ヘーエに並ぶ何千もの名前を見ると、ここでのウラン採掘が単なる産業の歴史ではなく、多くの人々の仕事や生活に深く関わっていた歴史でもあったことを感じることができます。


(「名前の石」で作られたグルーベンゲロイヒト(Grubengeleucht)の土台。)

Wismutのリヒテンベルク拠点

シュミルヒャウアー・ヘーエからは、現在も使用されているWismutのリヒテンベルク拠点(Betriebsteil Lichtenberg)を見ることができます。

この場所は、かつての第375立坑(Schacht 375)の鉱山施設があった場所で、現在は残された土地の修復、水管理、修復済み施設の維持管理、環境モニタリングなど、長期的な環境管理を支える施設が置かれています。

また、この拠点には、環境修復によって発生した放射性物質で汚染された廃棄物を保管・処分する施設(AEE Lichtenberg)や、複数の汚染物質を含む廃棄物を扱う処分施設なども設けられています。

また、リヒテンベルク拠点では、新しい事務棟や中央制御室の整備も進められており、この制御室からロンネブルク地区の水処理施設を遠隔で監視・制御する計画となっています。

シュミルヒャウアー・ヘーエからこの施設を見ると、ウラン鉱山そのものは姿を消しても、Wismutの仕事が終わったわけではなく、採掘から環境修復、そして長期的な跡地管理へと役割を変えながら続いていることが分かります。


(シュミルヒャウアー・ヘーエからの風景。左奥の白い建物などがWismutのリヒテンベルク拠点。)

水処理施設

シュミルヒャウアー・ヘーエの頂上から周囲を見渡すと、現在もWismutが管理するロンネブルク水処理施設(最大処理能力850m³/時)を見ることができます。

ウラン採掘は1990年に終了しましたが、地下鉱山の閉鎖後、坑道を水で満たす作業が行われました。

この水処理施設では、水没した旧鉱山から生じる鉱山水や、旧鉱山の影響を受けた地下水を継続的に処理しています。

また、シュミルヒャウアー・ヘーエの反対側の谷にあたるゲッセンタール(Gessental)からも、地下に敷設された圧送管を通して水処理施設へ水が送られています。

さらに、シュミルヒャウアー・ヘーエの麓には、約54,000m³の容量を持つ大きな貯水施設があり、さまざまな場所から集められた水を一時的に貯留して、水質を均一化する役割を担っています。

ロンネブルク水処理施設では、特にウランやニッケルなどを除去しており、2025年には1時間あたり約470m³の水が処理され、処理後の水はヴィプゼ川へ放流されています。

Wismutによれば、自然のプロセスによって鉱山水などに含まれる汚染物質の濃度は徐々に低下していくと考えられていますが、処理せずに河川へ放流できるようになる時期は、現在のところ予測できていません。

そのため、シュミルヒャウアー・ヘーエから見える水処理施設や周辺の貯水・送水設備は、ウラン採掘が終了して30年以上が経過した現在も、鉱山跡地の長期的な環境管理が続いていることを示しています。


(シュミルヒャウアー・ヘーエからの風景。鉱山跡地の管理に必要な施設や跡地に作られた施設が一望できます。)

Wismutの専用鉄道

シュミルヒャウアー・ヘーエからは、Wismutの施設へ延びる専用鉄道(Anschlussbahn)も見ることができます(支線を含めた総延長は約16.3km)(場所については上述した「水処理施設」を参照してください)。

この鉄道は、ロンネブルク周辺でウラン採掘が本格化した1950年代に建設されたもので、1957年からウラン鉱石をはじめ、砂、灰、木材、燃料などの輸送に使用されました。

ウラン採掘終了後も、この鉄道は廃止されず、今度は環境修復に必要な大量の土砂などを運ぶために利用されました。

つまり、この鉄道もWismutのリヒテンベルク拠点と同様に、かつてはウラン採掘を支え、採掘終了後は環境修復を支えるインフラへと役割を変えた施設です。

なお、現在Wismutはこの専用鉄道の一部について撤去の準備を進めており、環境修復用の土砂輸送は2027年3月ごろまで続く予定とされています。

太陽光発電施設

シュミルヒャウアー・ヘーエから周囲を眺めると、広い範囲に設置された太陽光発電施設も見ることができます(場所については上述した「水処理施設」を参照してください)。

ロンネブルクでは、ウラン採掘終了後に環境修復された土地の新たな利用が進められ、その一つとして2009年ごろから太陽光発電施設の整備が始まりました。

なかでもシュミルハウ・ソーラーパーク(Solarpark Schmirchau)は、約40ha、出力20MWpの規模を持ち、2012年の稼働開始時にはテューリンゲン州最大の太陽光発電所でした。

かつてウラン鉱山や廃石堆積場などが広がっていた土地が、環境修復を経て再生可能エネルギーを生み出す場所として利用されていることは、この地域の土地利用の大きな変化を象徴するものといえます。

まとめ

もともと農村や田園地帯が広がる地域だったロンネブルクは、第二次世界大戦後に始まった大規模なウラン採掘によって、その姿を一変させました。

リヒテンベルク露天掘り鉱山をはじめ、多数の立坑や廃石堆積場、鉱山施設がつくられ、ウラン採掘によって姿を消した村もありました。

ウラン採掘の終了後、大規模な環境修復が始まり、かつて鉱山が広がっていた土地の多くは、現在では草地や森林、公園などへと姿を変えています。

同じ旧東ドイツにある町で、以前紹介したバート・シュレーマと比較すると、その違いも興味深いものがあります。

まず印象に残るのは、何といっても環境修復の圧倒的な規模です。

巨大なリヒテンベルク露天掘り鉱山の埋め戻し、さらにその上に廃石などを積み上げて形成された標高373mのシュミルヒャウアー・ヘーエには、訪れる人は誰しも圧倒されることと思います。

また、バート・シュレーマでは、ウラン採掘によって一度失われた保養地としての機能が復活し、修復された鉱山跡地にはクアパークや温泉施設、ゴルフ場などが整備されています。

一方、ロンネブルクには現在、バート・シュレーマのような保養地としての機能はなく、温泉やゴルフ場のような施設を中心としたレクリエーション利用が積極的に進められているわけでもありません。

しかし、ロンネブルクでも鉱山跡地が単に立入禁止の土地として残されているわけではありません。

2007年の連邦園芸博覧会を契機に公園や遊歩道などが整備され、修復された広大な景観そのものを人々が歩き、体験できる場所となっています。

また、シュミルヒャウアー・ヘーエでは、巨大な鉱山ランプ、かつての鉱山や村を再現した「歩ける地図」、そして多くの人々の名前が刻まれた石などを通じて、現在ではほとんど姿を消した鉱山の歴史と、そこで暮らし、働いた人々の記憶を現在につないでいます。

つまり、鉱山跡地そのものを利用しながら、かつてそこにあったものや、それに関わった人々の想いを次の世代へつないでいくことも、ロンネブルクにおける跡地利用の大きな特徴といえます。

さらに、シュミルヒャウアー・ヘーエから、現在も続けられている鉱山水の処理や環境修復・維持管理のための施設、さらには太陽光発電施設などの新たな土地利用の様子を一度に見ることができるのも、ロンネブルクの特徴かと思います。

ウラン鉱山をはじめとする放射性物質に汚染された地域の環境修復に関心のある方には、バート・シュレーマやヤーヒモフとともに、ぜひ一度は訪れていただきたい町です。

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今回は以上となります。

ご覧いただき、ありがとうございました。

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